バカと煙はなんとやら

わたしは昔から高い場所に登るのが好きで

小さい頃はジャングルジムとか上り棒でばっかり遊んでた。

上り棒↓(棒が立ってるやつ)

 

休み時間になると上り棒の場所までダッシュして靴と靴下を脱いでひたすら登ってた。(三メートルくらいあった)

運動は苦手だけど腹筋と腕の筋肉使う運動は好きだった。

未だボルダリングジムでつたって登るの好きだもんな。

 

 

バカと煙は高いところが好き…

 

ふっ…

 

 


人付き合いがうまく行かないのは自分の性質を分かってないのが原因かも

 

人付き合いは不思議なもんで

自分が合ってると思ってても合わなかったり

意外なコミュニティにぴったりハマることもある。

 

わたしは合うと思って所属してたサークルは当時は合ってると思ってたけど、今思い返せば無理に合わせてるだけで全然合ってなかった。

 

サークルの人たちは真面目だけどかなり日和見主義で愚痴っぽく常識外れなことが嫌いな、内向的な人間が多かった。

わたしのことも内心、疎んでいたと思う。

 

逆にゼミなんかはかなり自由で積極的で変わり者の集まりだったので、わたしのことも丸ごと受け入れてくれて「こんなに自分が受け入れられる環境がこの世界にあるんだ」とびっくりしたのを覚えている。そしてこれまでどれだけ人付き合いにおいて自分を抑圧していたのか初めて知った。

 

自分は自分が思ってるより指図されたり口出しされるのがわたしは人より嫌いなんだと思う。

そして常識にとらわれ型に囚われたものの考え方が自分が考えるより大っ嫌いなのだろう。

これまで人付き合いでしんどくなってたのも、そんな自分の性質を理解せずどれだけ合わなくてもしんどくても「我慢することが大切だから自分を押し殺してでも、死をもってしても相手に不快感を与えてはならない、楽しませなきゃ!」と無意識に考えていて、我慢して我慢して我慢しつくして後で爆発していたからなのだろう。

合わない人とは最低限の礼儀だけで無理して付き合わなくていい。気が乗らなければ無愛想でいるし楽しくないものを楽しいと言わない。

 

そうやれば合わない人間はどんどん淘汰されて合う人間だけが集まって来る。

 

 

「もっと人に合わせろ」と注意する人ではなく

自由なわたしが好きだと、受け入れてくれると言ってくれる人じゃないと深くは付き合わないことにした。

こういうこと聞いて「いや、それはわがままだからもっと相手に合わせた人付き合いをしろ」

とか思ったり言い出す奴とは一切関わらない。

 

自由で、夢見て、その都度試行錯誤をして行く。それを受け入れてくれる環境こそがわたしの幸せだと思える条件なんだな。

 

 


求めよ、さらば与えられん

「良い人間関係に恵まれるにはどうすればいいか」という議題で、某質問掲示板に投稿したことがある。

 

そのときのベストアンサーがこれ。

 

社会人としてマナーがある人は、同じようにマナーのある人と出会います。仕事に対していい加減な気持でしている人は、そういう人と出会います。

弁護士ならば弁護士の異性と出会いますし、小説家なら小説家の異性と出会います。自分のレベルを上げることで、よりレベルの高い人と出会います。

なので、あなたが自分を向上させよう、こういう人生を送ろうと計画を立て、前向きに努力していれば、それに見合った人と出会うと思います。

あなたが、どのような未来を望むか、それを明確にして生活していってください。求めよ、さらば与えられんです。

 

 

こういったことを言われた。

今思い返しても実に的を得ている素敵な回答でこの方には本当に感謝しています。

 

 

愚痴っぽい奴には愚痴っぽい友達が出来るしチャラい奴にはチャラい奴が集まってくるし、明るい人には明るい人が集まってくる。

 

 

人は常に自分の鏡で、周りがレベル低いなと思う時はやっぱり自分のレベルも低いということなのだろう。

 

 

わたしには青春を全て捧げたと言っていいほどメチャクチャ好きな男性がいたんだけど。(片思いだったけど)

彼はちょっとしたことでもすぐに怒り、とても支配的でしかも距離が近づくとプライベートに介入する癖があった。彼女が電車に乗っていて空いてる座席に座るだけで「なんであと一駅なのに座るんだよ」と文句言ったり、何か知らないがわたしの父親の職業の悪口を言ったり相当モラハラ気質な男性だった。

一方で、自分が怒られたり責められたりするとメチャクチャ落ち込んで女の子に慰めてもらわないと立ち直れない人だった。

 

今思い返せばそんなのと一緒になってたらどうなってたのかとぞっとする。そんなのに惹かれてた自分もまた「誰かに頼らなければ生きていけない」と思っていたくらいに未熟だったのだろう。彼のはっきりとした物言いは、当時の優柔不断で流されてばかりな自分にはとても眩しく思えた。

そして、こんな男性でも当時のわたしは彼が完全無欠の完璧人間に思えて欠点がないような気がしていた。

バカだねぇ…

 

なんでこんな簡単なことが今までわからなかったんだろう。ちょっと考えればわかるはずなのに。

なんでこんなバカだったんだろうな。今までそれだけ自分のことを大事に思えてなかったんだな。

 

恋愛の法則としてわたしが言いたいのは大して根気もないのに「この人じゃないと駄目。この人より素敵な人はいない。この人以外有り得ない」と盲信する時は99%の確率でダメな恋愛の可能性が高い。

ホントにその人のこと好きな時ってね、「たしかにこの人以上にかっこよくて素敵な人は居るけど、なんだか分からないけど好き。欠点もまぁ許容出来るし何よりその人といる自分も自然でいられる」って、欠点や自分のことも客観的に見ることができるのよ。

 

「この人じゃなきゃ駄目」なんじゃない。「誰かと一緒にいるから」幸せなんじゃない。「寂しいから誰かに埋めてもらう」じゃない。

自分らしく生きてしっかりと自分で設定した目標に向かって人生を送る延長線上に幸せってやつはある。

 

そしてその延長線上で友人やパートナーを選ぶなら

ちゃんと自分が自分でいさせてくれる人、そして応援したいと思える人でないとダメだ。自分が幸せだと感じることを同じように幸せだと感じてくれる人が良いのだと思う。

 

人に人生を捧げることなく依存しようとすることもなく

ちゃんと自分の足で立つこと、自分を大切にすることが大事なんだと今は心からそう思う。

 


批判や中傷を必要以上に気にするのは疲れてるか暇なのかどちらか。

他人から上から目線で指示されるとき
の続き。 じゃあどうしてそう言うことが起きるか? どうして知らない人や他の誰かに自分の人生に口出しされて...

 

この記事で誰かに偉そうに指図されるのは悔しいし見返したいって言ったけどさ。

 

そもそも

 

別に自分がそう思ってなけりゃそんな指示厨気にならないと思う。

 

 

究極の話、会って間もない人に「お前なんか生きてる価値の無い人間だから今すぐ死ね」って言われたとしても、

自分が無い人は「死ななきゃいけないのかな…」って落ち込むけど

自分に価値があるとちゃんと自分でわかっていればその時ムッとしたとしても凹む事も悲しくなる事もなく、「いや何でお前にそんなこと指図されなきゃいけないのw」って思うと思う。

 

こういう人の言うことって実は意味もないし特に見返す必要もないし気にする必要もないしましてやちょっとしか関わってない他人なんてどうでもいい存在であることに気づくべきである。

 

 

あぁそう言う意見ね。はいはい!オーケーオーケー!勝手に言ってろ!ってな感じで、寛大な(?)広い心で受け流すのが結局最善の対処法である。

同じ土俵に立って真に受けて悲しくなったりムキになって怒ったりするのが一番アカン。

だって他人は自分のこと知らないもの。

他人なんだから他人のことなんてその時の気分でテキトーに言ってるだけだからさ。

 

ちゃんと客観的に見れてかつ上から目線でなく意見を押し付けてこない人間の言うこと以外は全部聞き流していかないと身が持たないよ。

 

 

誰かに沢山褒められて高い評価を得たとしても別に自分の価値は全く上がらないし、逆にけちょんけちょんに貶されたって自分の価値は実は下がらない。

 

自分が信じるなりたい自分に向かって努力し、「これだけ全力で生きてごちゃごちゃ適当なこと言ってくる奴なんかどうでもいい。自分のことを評価してくれようがアンチに転じて批判してくれようがそれすらどうでもいい。」というくらいの気持ちで毎日を、自分を本気で生きていると正しい・正しくないの基準が自分になって来る。正確には正しいことが何か、本当の意味でわかって来る。

そうすると人の雑音なんて気にならなくなるんじゃないのかな。

 

 


空飛ぶ絨毯に乗った黒柳徹子

今日はやべえ夢見た。

 

 

何故か自分は測量の仕事やってて、水が干上がった用水路の測定やってた。

んで、一緒に仕事してた同僚が何故か妖怪で確か一つ目小僧と提灯お化けだった。

 

用水路を降りて作業してると向こうから突然ドドドドとものすごい音が聞こえて上にいた同僚が「おい、何か来る!そこにいるとやべえぞ!!」と自分を引き上げてくれた。

 

で、離れたところで様子を伺っていると、なんと向こうから川を空飛ぶ絨毯の様に乗りこなす黒◯徹子が現れたのだ。

 

用水路を飛び出し縦横無尽に空中を飛び回ったかと思えば

やがて空に去って行ってしまった…。

 

 

疲れてるな…わたし…

 

 

 


他人から上から目線で指示されるとき

 

悲しいかな人間は痛い目に遭って初めて学習する生き物だ
占いはあまり当てにはしてないけど今年までわたし大殺界だったのよね… こればかりは本当に当たっていて、本当に冗談抜きで最悪な時期...

の続き。

 

じゃあどうしてそう言うことが起きるか?

どうして知らない人や他の誰かに自分の人生に口出しされてしまうのか?

 

それは自分の心に依存心があるからなんだよ。

心の何処かで「自分で決断したり責任とるのが嫌だから誰か頼れる人いないかなァ…」と思っていると偉そうな人や干渉して来る人にぶち当たる。これはマジでそう。

 

これが「自分で未来を切り開く!」「どんなことがあっても、自分の責任は自分でとる、どんな努力でもする!」

ってな気構えで生きてたら不思議とそんなことは言われないし言われたとしても気にならない。

 

そしてこれも不思議なことに同じような自分の責任は自分で取ろうと努力してる人と知り合えたりする。

人間って波長で寄って来たり離れて行ったりするように出来てるんだよ。

例えば「仕事は適性がないし過酷な勤務状況の中で体を壊してしまった。でもそれが仕事なんだから甘ったれてないで何が何でも耐えてやれ!」なんてことを言われたとする。

それは真理だからそう言ってるんじゃなくて単にこの人自身がそうしてるからアナタにその価値観を押し付けようとしてるんだよね。

親切を装って、『アナタのために言ってるのに』という名目上で、『俺も我慢して生きて来たんだからお前も我慢しろ』と言わんばかりに。

本当にアナタのことを考えているなら、その人はアナタに意見を押し付けたりしないし否定もしない。

アナタが言うこと聞きそうに見えるから言ってるだけ。

わざわざ自分の価値観を押し付けようとする人はその人もまた、依存心が強い人間だと言う証拠である。

 

 

だってさ、この人はこの同じセリフをマツコデラックスに言えるか??

スティーブ・ジョブズやホリエモンやらの濃いメンツ達に言えるんか?言えないでしょ?

言えないのはこの人たちとはハナから生きる世界が違うと認識してるからだ。

ちゃんと自分で考えることができ、自分なりのポリシーを持って生きてる人間には人生の核に決して口出しはできない。

 

つまり言えちゃう対象ってのは従順そうで言うこと聞いてくれそうで自分と同じ地に足のついていないフワフワしてる人間だと思ってるから言ってるに過ぎないんだよね。

 

ソイツはアナタが同じ世界に住む同類だって思ってるから、あるいは下に見てるから好き勝手にその人の人生についてわかったこと口出すんだよ。

それ考えると物凄く悔しくないか?

狭い狭い価値観の中で

状況も勝手に決めつけ

「コイツは言ってもいい人間」だと勝手に査定し

勝手な意見を押し付けるような奴と同じ類の人間だと思われてるんだぞ。

同じ世界にいると思わせてしまってるんだぞ。

ちょっとやってられなくないか?

 

 

勝手な人に勝手に自分の人生を語られそうになったら言ってやればいい。

自分はお前らと違うんだぞと。あるいは行動で示してやればいい。

支配されるくらいなら死んでやるくらいの気構えじゃないとダメだね。

そしてその気構えが本物かどうか確かめる方法は、そこにどれだけの労力を注げるかと言うことと、得られる結果しかない。

 

最後に重要な一言。

自分の正解を知ってる奴は自分しかいない。誰も知らない。自分で探すしかないのだから。

誰かに答えを求めるな。参考にしても決して解を乞うな。自分で考えろ。

間違ってもいいし失敗してもいい。その都度軌道修正していけばいいだけの話だ。

 

答えを誰かに丸投げする姿勢でいたら食い物にされるぞ。

 


悲しいかな人間は痛い目に遭って初めて学習する生き物だ

 

占いはあまり当てにはしてないけど今年までわたし大殺界だったのよね…

こればかりは本当に当たっていて、本当に冗談抜きで最悪な時期だった。

今までのサボって周囲に流されまくっていたツケが一気に来たと言う感じ。

だからこそ今はしっかり頑張れているのだけれど。

 

占いはただのバイオリズム。

運が良い、運が悪いなんてものは本当に運が良い悪いということではなく

その人の良い面や長所が出やすい時期あるいは短所が出やすいという目安でしかないと思う。

 

だから普段から慎ましくせっせと努力して生きてる人は悪い時期でもそんなに悪いことにはならないし、良い時期に調子乗って努力を怠る人は悪い時期になるとその分の莫大なツケが一気に回ってくる。←わたしのこと

 

 

 

その頃、わたしは相当弱い人間だと見えていたのかこの時期に他人から自分の人生について散々勝手なことを言われてしまっていた。

例えば

「いいよな。女なんて結婚するだから就活なんて適当で。」

「若い内に結婚しときなさい。早く子供を産みなさい。」

「仕事は我慢料としてどれだけしんどくても辞めない方がいい。みんなそうしてる。」

こんな勝手なセリフを、なんと顔も見たことが無い人や初対面の人に言われてしまっていたのだ。

いや、知らねえよ。それはお前の価値観だろ。他人のお前が、わたしの何がわかる。わたしの人生を決定するのはわたしだけだ。

勝手で狭い狭い価値観を押し付けてきて将来を閉ざすなって感じでしょう。

 

あの頃は今までそんなこと決して無かったのに、高額な商品を売りつけられそうになったり無理矢理カードを契約させられそうになったり変な男に言い寄られたり突然友達に縁切られたりちょっと有り得ないレベルで悪いことばかり起きていた。

しかも判断力も鈍ってて関わる人間の選択もミスりまくっていたように思う。

 

しまいには行きたくもないのに無理矢理田舎に住まわされて無理矢理田舎に永住させられそうになって人生をめちゃくちゃにされそうになった。

 

あの頃は人生最大の暗黒時代である。

 

でもそれはさ、運が悪いせいじゃなくて自分がそう言う人間や状況を引き寄せちゃってるんだよね。自分の考えや指針がグラグラで、定まってないからそう言う匂いを嗅ぎつけた魑魅魍魎が弱そうな人間を食い物にしようとやって来るんだ。

 

 

もう二度とこんな屈辱的な思いはしたくない。

誰にも、もう二度と人生を指図されたくない。

 

わたしにとって一生忘れられない時期になるだろう。

ここに誓う。

金輪際

誰かに口出しされるような人生は歩まない。

自分に嘘はつかない。

自分の幸福は何か、周りに左右されず常に問うことが出来る自分でいる。

胸を張って生きていける自分を目指す。

死は逃げでしかない。

死ねば自分のことをいいようにコントロールした人たちに対して負けを認めたことになる。

 

あんな悔しい思いを味わった自分を裏切りたくはないから。

決して裏切らないから。

 


ポジティブの押し付けは鬱陶しい

 

「人生楽しんだもの勝ち」とか

「辛くとも笑顔でいればいいことあるさ」

ってなセリフを聞くたびにうへえ…って疲れる。根暗で陰キャな自分には鬱陶しい余計なお世話だと言いたくなる。

 

お前はそれでいいかもしれんが、それを押し付けてくるな。みんながみんな明るくて楽しい人生を望んでいるものだと思うな。

 

別に明るく生きることが幸せだと思わないしわたしは結構ネガティヴで斜めに構えてあれこれ考えてる時が一番楽しかったりする。暗い人間は暗い人間なりの人生の楽しみ方があるのさ。

そもそも人間なんだから落ち込むこともあるし悲しいこともあるんだから、落ち込んだときは思いっきり落ち込んで、悲しいときは思いっきり悲しんで、もちろん楽しいときは思いっきり喜んだらいい。そうやって自分の気持ちに素直になると生きるのが楽になる。

 

 

いつでも笑顔でいることや皆に好かれて生きることが幸せだと思わない。少なくともわたしにとってそれらは大して幸せなことじゃあない。

笑顔はホントに自分が楽しいときだけでいいと思うし、だったら客商売だってあんな必要以上の笑顔いらんだろと消費者の立場に立っても思う。外国なんて店員メチャクチャ無愛想だぞ。あれくらいが気が楽だわ。いつも笑顔な人を見たら気を使ってしまう。

 

「みんなに好かれる」なんて聞こえはいいけど

人間関係は面倒くさいし寄ってくる人間に対して「この人とは浅い付き合いに留めるべきか深い付き合いに値する人間か、様子見かそれともバッサリ切り捨てるべきか」その都度取捨選択をしなければならない。

他人に割かなければならない時間もおのずと増えてしまう。人間関係に時間を割きすぎる行為は本当に人生の無駄で、良好な関係を築くことに力を入れすぎるあまり

自省の時間が減ったりやらねばならないことが疎かになってしまうことも多々ある。

 

一番いいのは周囲の人とそこそこ良好(無難な)関係を築いていくこと。深入りしないこと。

みんなに好かれなくてもいい。本当にわかってくれる人と付き合えれば。

それは孤高の存在として生きること。

別にメチャ明るく振る舞わないでいいし必要最低限のマナーや礼儀を守ってさえいればそういう人間関係は築ける。

 

明るくとも暗くとも自分が納得できる人生を送ることが幸せってやつなんじゃないかなと思う。「明るく笑顔でいることが幸せ」信仰を抜け出して、自分なりの幸せは何かと模索していくことこそが大切なのである。

 

 


自分に今課せられている「使命」を理解すべし

人間は大して必要でないことは上手くいかないように出来てると思う。

それを無理矢理上手くいかせようとすることって無駄だよという話。

人は生まれて来るとき、それぞれ使命があってそれに沿って生きないと生きづらくなるよという話だ。

 

 

例えばわたしは恋愛に全く縁がない。多分晩婚だろうし結婚したとしても「大恋愛の末!!」とかいうロマンチックなものじゃないだろうという気がする。そして基本的にその手の話題にも興味がない。

やっと好きな人が出来ても絶対に何らかの邪魔が入って阻止される。まるで「お前のやるべきことはそこじゃないだろう」と言わんばかりに。

その一方でやっぱ何にも考えなくても恋愛に関してはトントン拍子で上手くいく人だっている。

そういう人は恋愛して結婚して誰かがそばにいないと生きていけないような境遇に追い込まれることが今後あるとか、子供を生んでその子供を育てることでしか学べないことが実はその人にはある。

恋愛することによって得なければならない「使命」がそこにあるから恋愛するのだと思う。

そしてそれを学ばなければならない時期が人によって早かったり遅かったり、もしくは全く存在しなかったりするのだと思う。

 

 

一方でわたしはお金や教育、家族に対して困ったことはあまりない。

 

うちは一人っ子なもんで経済的にも苦労はしたことがないし勉強に関してだってそんな血の滲むような思いはしたことがない。

父親が学者なのでしょっちゅう勉強して論文を書いてるし祖母も勉強オタクで俳句を習いに行ったり世界史を学習したりと死ぬまで何かしらの勉強をしていた。

そんな環境だから人間は勉強することが自然なんだと刷り込まれていたのがわたしの性質を作り上げていったのだろう。

家族も皆仲も良く別に家庭環境でそんなめたくそ苦労した思い出もない。

 

 

人は生まれ持ったカードで勝負していくしかない。

何かしらの強みを活かした生き方をしていくことで自分という魂はどんどん磨かれていく。

その強みを自分で理解することは非常に大切だ。

 

わたしの好きだった人には彼女がいたという話をこのブログで書いたけど、その話で行くとわたしはその人と一緒にいることが使命じゃなかったということだ。

そしてその彼女には彼といることで学ばなければならない「使命」があったのだろう。わたしにはない使命が。

 

何をどうやっても上手くいかないな…と行き詰まる時は一旦立ち止まってじっくり考えるべきだ。

それ、ほんとに頑張らなきゃいけないこと?

我慢しなきゃいけないこと?

 

あまりに上手くいかない時はそもそも目指す方向性が間違っている場合が多々あるから。

 


依存や自己憐憫を断ち切って自分で幸せになる覚悟を持とう

どうして嫌な人に出会ったり嫌なことばかり起こるんだろう…と考えてしまうことってありますよね。

 

わたしも経験あります。

悪い出来事やスゲー陰気な人ばかり周りにいてネガティブな気持ちにさせられる毎日。

そう言った時期は必ず自分も同じように暗くて後ろ向きな自分でした。

 

大体さ、嫌なことばっかり!!あいつは嫌な奴だ!!…と考えてしまう時は「依存心」が強い時なんだよね。

何にでも自分がなんとかするしかない、(嫌な人がいたとしても)別に自分は自分なんだから嫌な人がいたとしても自分のやることをやるだけだから関係ないと思える心があれば。

つまり自立心があれば不平不満を言う前に行動してると思う。嫌な人だと必要以上にその人のことを思い続けてしまうときはその嫌な人に依存しちゃってるんだよ。どうしてあの人は嫌な人なんだとあれこれ思い悩む行為は実は自分の思い通りに動いてくれない相手に執心していることと同義だ。

自立心がある人間は、気にしないか実際に理性的に適切なアクションを起こす。

 

 

何かの宗教じゃないけどさ、「明るい態度や気持ちは明るいことを引き寄せる」も「暗い態度は暗い人や暗い出来事を引き寄せる」は本当だしこの世の真理だと思う。これは誰かから聞いた普遍妥当な意見ではなくわたしが身をもって体感した真理である。

 

じゃあどうすれば良いことを引き寄せるんかという話だけど、これも月並みだけどいつも笑顔でいることだと思う。

いやお前いつも笑顔でいる人間は嫌とか前に言ってたじゃんって話だけど

人の目を気にして場をなぁなぁにする為の笑顔なのか

自分を幸せにしてあげる努力をした結果から導き出された笑顔なのか、その違いである。

 

心からの幸せから出てきた笑顔は間違いなく良いことを引き寄せてくれる。