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うっとうしい女はもう卒業!自立のススメ

わたしは気が弱くてグラグラグラグラ

吹けば倒れるひ弱なもやし野郎であった。

ちょっと人から意見を言われると自分が全否定されてるみたいな感覚に陥って、

「もうわたしの意見なんて無いから、あなたに従うから、もういじめないで!!

というような態度を取るところがあった。書いてるだけでうっとうしい被害者意識である。

最初から戦うことを放棄している。

しかも一人暮らしして、自分を見つめ直すまで自分にその心グセがあることにすら気づかなかったのが恐ろしい

そして、

それももう、やめようと思う。

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

茨木のり子『倚りかからず』P62-64より

わたしは過去振り返っても、その時々の気に入った誰かの思想や考え方を無意識に全面的に拠り所にしていた部分があるんじゃないかと思う。

特に友達とか距離が近くなって、それが私より優れた人間であったりするとすぐにその人の考え方に感化されちゃうところがあった。染まっちゃう。

悪く言えば依存と同じだね。

自分がないし自立心もない。

誰かに頼れば、失敗したとき誰かのせいに出来るから。自分で責任を取らずに済むから。

良さげな誰かの考え方も生き方も取り入れて、しかもそれを自分の型に落とし込むこともせず、

飽きたらまた別の、良さげな生き方をしてる人の模倣をして別の誰かで居続けようとする。

過去ずうっとそうだったんだと思う。

もういい加減、いい歳なんだからもうそれはやめよう。

誰を拠り所ともしていない、自分の目で見て自分の足で立って自分で判断した世界があるかどうか。

そこで勝負して行きたい。

友達も恋人も、家族だって私の人生の伴走者に過ぎない、彼らは私の分身ではなく結局自分というものが大前提にあった上で成り立つ関係だと言うことをわたしは忘れがちなのだろう。

自分の心の声に耳を傾け、ゆっくりゆっくりでいいから雑音を取り除き本当の自分の心を見極めていく。

どんなバカなことでもしょうもないことでも

丁寧に丁寧に掬い取っていく。

自分がどういう人間なのか、じっくり見極める。

そして時々、疲れたときは応援してくれる誰かに寄りかかって休めばいい。ただしその人には依存しない。

自分の人生を何とかするのは自分しかいないのだから。







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