ヒカルの碁から見る成長と人間関係

わたしの好きな漫画に「ヒカルの碁」という作品がある。

好きな理由は色々あるが一つに「人間関係の推移がやたらリアルな点」が挙げられる。

普通の少年漫画だと、

一度仲間になってしまえば終わりまで基本的に「仲間のまま」であることがセオリーだ。喧嘩しても拳と拳をぶつけ合えば仲直りである。

でもヒカルの碁に出てくる人間関係はえげつないほど現実的である。

初期の囲碁のことなんて微塵も興味もないし、他に打ち込むことも特にない

主人公ヒカルの人間関係は、家族と小学校の友達のみで構成される。

(しかもヒロインのあかり以外で特に仲の良い友人はいなさそうだ)

それが囲碁のルールを覚え始めたあたりには、

学校の囲碁クラブに入部し、囲碁の面白さと仲間と大会を目指すという目標を共有する仲間たちが出来る。

しかし囲碁を「和気藹々と楽しむためだけ」に嗜むクラブの仲間に対しヒカルは違和感を覚え始める。

ヒカルにとって囲碁への情熱は単なる趣味の範疇に収まるものではなくなっていたのだ。

最初はヒカルもクラブの仲間達と一緒に学校の囲碁大会を目指そうと意気込んでたのに、それをすっぽかし囲碁のプロを志すようになる。

ここでクラブの仲間たちとは決定的な亀裂が生じ物語の最後までギクシャクしたままフェードアウトである。

このエピソードから分かることは

成長とは既存の人間関係を棄てることでもあるということだ。

主人公の成長スピードに囲碁クラブの仲間たちは追いつけなかったのだ。

その後、囲碁のプロ養成所に行っても、プロになってからもヒカルは成長する度にばんばん人間関係を棄て入れ替えて行く。

残酷なようだが、現実社会でもよくあることだ。

ミュージシャンなどが売れ始めると

売れない時代に支えてくれた女性を捨て新しい女性に乗り換えるという話はしばしば聞くが、あれも致し方ない部分があるのではないかと思う。

環境が変われば人は変わる。

考え方も価値観も変わる。

価値観が変われば、一緒にいて欲しいと思う対象が変わるのも当然の感情であろう。

人間関係が変わる時は

成長の速度が合わないか、向かう方向が違うか、一方が立ち止まったまま成長を辞めてしまった場合である。

ずっと一緒にいたいと思うのであれば同じ方向を向いて、同じスピードで成長する必要がある。

それが容易ではないことは想像に難しくはないだろう。

俺たち仲間だぜ!!

と、熱い握手と共に永遠の友情を誓い合う王道少年漫画ももちろん良いが、

昨日まであんなに仲が良く同じ釜の飯を分け合った仲間たちと次の日には他人になる

人間関係のシビアさを突き付けてくるヒカルの碁はわたしの中では特別な漫画なのである。