窮屈で身構えてしまうと言う関係は捨ててしまった方がいい

アドラー心理学の中の有名な愛の定義

人は『この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える』と思えたとき、愛を実感することができます。

劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。

ほんとうの愛とは、そういうことです。

by   嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

今度話す時に話題、何にしよう。

こんなバカみたいなこと話したら変だと思われるかな。

こんな立派な人間だと相手に思って欲しいな。

こういう返答をしたら、相手に好きになってもらえるかな?

ここを直さないと嫌われちゃうかな。

そんなことは一切考えないで、

ハナからそんな心配しないで、

自然体でいれて素直に笑うことができるという相手は案外そうそうお目にかかれないものだ。

今までもそう言う相手がいたこともあったけれど、蔑ろにしてしまっていたな。

自分が思ったことをそのまま伝えられて、そのまんま受け入れられるのは当たり前のことなんだと思ってた。

優しさに甘えていた。

そう言う関係の尊さが分かっていなかった。

人間関係は自分がのびのびと振舞えているかどうか?で取捨選択していけばいい。

タイプも性格も考え方や価値観も全然違うけど、それでもってお互いの文句も言うけれど、なんやかんやでそれぞれのペースで歩んでいけるような

違いを受け入れられるような関係が理想ではないのか?

どれだけ理想の相手だと思っていても

嫌われたくないから自分の意見を押し殺して神経を擦り減らし

内心イライラしながらも「気にしてないよ」とうそぶく関係は不幸以外の何者でもない。

自分を押し殺さないと継続出来ないような人間関係なんて、必要あるか?

自分の言いたいことを相手に伝えられないのはコドモだ。コミュニケーションが未発達なのだ。

感情的にならず卑屈にならず押し付けがましくはないが、しっかりと正しく意見を伝えられるのが大人というものである。

自分は自由に振る舞えていると実感する瞬間はこの世を生きていて最も幸福を感じる時であると思う。

偽りのない自分でも、

好きなことばかりしている自分でも

苦労をしていない自分でも

別に生きてて良いんだ、と気づく瞬間である。

そして

自分が良かれと思う生き方の延長線上に同意してくれて寄り添ってくれる人が少数でもいるだけで、人生は輝く。

別にその人たちはあなたが特別スバラシイ立派な人間だから、あなたのことを好きなわけじゃない。

あなたがあなたであるからこそ好きなんだ。