自分がのびのび生きることを許可してくれる人と付き合え

昔から気が小さく見えるのかまた、マイペースなせいか

「もっと周りの空気を読んで◯◯しろ。」

「お前は自分勝手だ。」

と、よく意地悪な人に言われていたことを思い出し、少し笑ってしまいました。

わたしは自分でそこまで自己中でも横暴でもないと思ってるし、むしろ当時は相手の意向に合わせまくった生活を送っていたと思います。

でも何をやってもどんなことをしても相手から言われることはいつも

オマエはワガママだ、自分勝手だ。

気に入らない。もっと何も言わなくても察しろ。

という趣旨のものばかり。

彼女らはわたしが何をやっても不満を言い、わたしの存在自体が気に入らないようでした。

わたしたちは時々、人との関係を良くするために自分を押し殺し、人の意思を優先させることがあります。自分のことは後回しにして人のために動くのが良いことであると。

そして世間ではそれが美学であり、まるでしなければいけないことかのように言われていることも事実です。

本当にそうなんでしょうか?

生きている限りわたしたちは常にこういう要求や批判に晒されます。

何かするたびに「何かしたこと」を非難されるし、何もしてなくても「何もしてないこと」を批判されてしまうのです。

しかし全てのニーズに応えることは不可能ですし、ニーズに応えたからと言って批判されなくなるとは限りません。

昔はわたしも「ああしろ」「こうしろ」と指摘してくる人たちに対し丁寧に、そして真摯に受け止め、“正当な意見”だと解釈していました。

どうしたら嫌われないで済むだろう?

どうしたらお気に召してくれるだろう?

どうしたら褒めてくれるんだろう?

自分の気持ちをぐっと飲み込み

みんなのニーズの通りに動かなきゃ、応えなきゃ、

完璧にしなければわたしの価値は無くなってしまう。死んでしまう。

相手のちょっとした機微に全神経を張り巡らせ心はくたくたです。

でも、素の自分を受け入れてくれない人を満足させることで、一体何が得られるというのでしょうか。

そんなに必死に頑張ってもただの“都合のいい人間”になるだけです。

それに自分の要望が満たされなかったと言って批判する人は、一体どちらが「自己中」なんでしょうか。

自分がのびのびしていることに対して「自己中だ」と批判してくる奴なんか、放っておいていい。

そう心から思えるようになってから、自分に対して「自分勝手だ」なんて言う人のことはあまり気にならなくなりました。

この世はいつもシンプルイズベスト。

世間にも批判してくる人にも弁明も言い訳もせず、ただただ自分の信念に基づき自分のしたいように突き進むだけです。

そこからわたしたちの本当の人生は始まるのです。