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コンパスは自分の中にある

人はしばしば幸せの定義を決めたがる。

「年収◯◯行ったら幸せ」とか

「◯◯歳までに結婚したら幸せ」とかそういうの。

でもわたしは

「◯◯したから幸せになれる」ってもんじゃないんだとしみじみ思う。

たとえ結婚しても相手が浮気性だったり

結婚してから相手が豹変、DVモラハラ男になり地獄の日々が待っていたとか。

家族を持ったからって絶対に幸せになれるわけじゃない。

結局のところ自分の幸せは世間の決めた尺度で決まるものではなく自分自身が決めること。

自分の尺度を持たず他人の尺度に拘泥しているといつか必ず後悔することになる。

「こんなはずじゃなかった」ってね。

そうなっても誰も責任はとってくれないよ。

この仕事をしてないと安定してるように見えないとか

この地位を死守してないと白い目で見られるとか

この人に好かれないと惨めだとか

友達を沢山獲得して人気者になりたいとか

結婚しないとカッコ悪いとか

子供がいないと幸せになれないとか。

周囲に惑わされもしくは自分の勝手な思い込みによって焦燥感にかられ自分にあってない物差しにばかり囚われ気づけば他人軸に沿った人生を送ることになる。

それ、ホントに自分にとって必要な願いなのか?

自分の向かっている方向はそれで合ってんのか?

それが成就したところでその願いの責任を引き受ける覚悟があんのか?

よおく考えた方がいい。

しかし、「自分の真の願い」ってのを見つけるのがこれまた難しい。

方向性は合ってても向かう手段が自分に合ってなかったり思うように成果が出なかったりすると、

その方法すらも自分で色々試して試行錯誤しなければならない。

その内に面倒になって試行錯誤するのを辞めてみすみす真の願いを叶える可能性を途絶えさせてしまう。

でもね…わたしの経験上、いくら周りの目が厳しかろうと周囲に反対されようと

その時は諦めて偽りの意志のもと生きようとしても、巡り巡って「真の願い」に舞い戻ってしまうものだと思う。欺瞞の日々を送っているとふっと頭を横切る、昔から抱いてきた淡い希望。

オマエの進むべき道はそっちじゃないだろうと神さまが示してくれているようだ。

長く生きていると人生ってちゃんとそういう風に出来てることがわかる。







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