ワガママに責任を持つことから人生は始まる

わたしは見た目はしっかりしててとても丁寧に見えるらしいが、実際は普通の人よりずっと雑な性格をしてると思う。

「君みたいな自由人は国際科とかグローバルな方面に行った方が向いてると思うよ」と大学時代言われたくらいに相当フリーダムな適当人間なのだ。たとえるならインドアな風来坊である。

そんな人間がこんな公務員みたいなお堅いITの保守の仕事だなんて向いてるわけなかった。

裏方の、チマチマした仕事なんか向いてねえよマジで。

手先の器用さや几帳面さを要求される仕事なんか向いてるわけないのに、人より苦手なことをやるなんて拷問に近い。しかも全く住みたくない町に来てまでやること?

一体わたしは何のためにここに来て何のために仕事してるわけ??

これまで曲がりなりにも努力してきたわたしの人生はこんな下らない毎日を過ごす為のものだったの??

ほんとは就職前もそんなことはわかってた。

でも全く仕事に対して真剣に向き合おうとしてなかった。適当に就職して適当に生きれば良いんだとただただ流されて選択した結果がこれだ。

それは親に「こういう仕事が向いてるんだからその仕事を選べ」とうるさく言われていたからかもしれない。それに反抗する気力もなく一念発起する勇気もなかった。

でもたった一年の一人暮らしの経験が、不本意に左遷された体験が、

自分が本当は何を求めどう生きたいか初めて真剣に考えるきっかけとなった。

親なんてわたしの人生の何の責任も取ってくれないんだとバカだけどこの一年を通して初めて気がついた。

親だけじゃない。現実なんてそんなものだのわがままだの好き勝手なことを言ったって先生も上司も誰もわたしの生きたい人生の先導員になってはくれない。

盲目的に誰かのいうことを聞くだけで道が切り開かれていく時代は終わったんだ。

わがままだろうとなんだろうと自分の望む人生は自分で選択して傷つきながらも努力して勝ち取るしかない。「戦う」ってそういうことだ。

わがままだろうと戦う覚悟が出来たのならば、それはもうわがままじゃなくなる。