昔の夢を見る時に考えたこと【モラトリアム】

最近、走馬灯のように昔の自分の夢を頻繁に見ます。

多分、今現在、過去最高に本来の自分を取り戻せて生きていけているからそんな昔の夢ばかり見るのでしょう。

今振り返っても学生時代は楽しくなかった。その原因を、過去の過ちを色々思い出しては自分のことを省みてこう思います。

現実を生きられてなかったな、あの頃のわたし。

「今この時を頑張る」というよりは当時は目先の見栄ばかりを考え、こうしたらみんなから浮かないかな、かっこよく写るかなってそんな他人目線のことしか考えていませんでした。要はビビりで人から嫌われるのが怖かったんですよ。別にわたしに限らない、多感な時期なら誰でも陥る自意識過剰なんですけど。

だからこそ、仲良くも無い、見込みの無い人を好きになって長い間思い続けて妄想の中で楽しんでしまったり考えても仕方がないことに集中して時間を無駄にしていました。

ほら、あの頃って「一人でいたり全力を出すことがカッコ悪い」みたいな風潮あったでしょう。「自分とは何かモラトリアムに悩むより、恋にのめり込んだりノリがいい人と頭カラッポでぎゃあぎゃあ騒いでつるむ方が人として上」ってのが青春だとされていたでしょう。

でも、そんな中途半端な生き方をしていたから自分はいつもいつも全力を出せないで消化不良な気持ちを抱えて生きていたのでした。

結局、人生の真理ってね。今出来ることを粛々とやる。これに尽きるんですよ。

その時は意味の無いようなことに思えてもかけがえのない財産になることもある。

そしていつだって自分を見失わないこと。

そしてその時の常識では良とされていることも自分がそれはちょっとおかしいんじゃないかと思うようなことなら皆に合わせず自分の感覚を信じた方がいい。

親や学校は教えてくれないけど、直感て考える以上に当てになります。当てになるというか、自分の「NO」という感覚が自分にとっての正解で自分という人間を作っていくのです。

根拠はないけどこっちに進むと良いことがありそうだからこっちに行こう

合わない感じがするからやめておこう

考えて仕方あることだけを考え、日々やれることに全力で取り組みながらも素直に、ある意味動物的に物事を取捨選択していく潔さが幸運に生きていける「コツ」なんじゃないかと考えています。

周りに流されず自分の信じる道を突き進む人はたとえ周囲から目に見えるわかりやすい「成功」が出来なくとも、「勝ち」と言えるのではないのでしょうか。