良好な関係構築を目的とすると良好な人間関係は構築できない

 

「自分の容姿や能力にコンプレックスを持っていて学生時代は人の目を気にして仕方がなかった。人に好かれようと必死な時があった。」

と高校の時の先生が言っていました。

 

誰かに好かれるために努力したこと、みなさんも一度は経験…ありますよね?

 

でも人の心って自分で思ってる以上に読めないものです。

好意のある態度を取っていても社交辞令で本心ではそうでもないとか、

無愛想な態度取られてても実は結構好感持たれていたなんてこともよくある話です。

 

人の評価は証明する手段がないことを分かっていないと往々に人間関係でつまずいてしまいます。

 

そんな不透明なものに縋って生きていたら疲れてしまうでしょう。

 

極端な話、他人が自分をどう思ってるかなんて自分には関係のない話です。

あえて言ってしまうと「人に好かれるため」だけを目的にする頑張りや努力なんて全部無駄です。やらんでよろしい。

と言ってもそれは人間関係を全て断ち切り山に篭れということではなく、そんなガリガリ努力せんでも仲良くなれる人とは自然と仲良くなれるってこと。

1人になりたくないと関係をつなぎとめるために必死で連絡を取ったり媚を売って好かれようとすることになんの意味もありません。(しかもそんなことしても好かれません)

 

周囲にいる「人に好かれてる人」を思い浮かべてください。

彼らが人に好かれることに拘泥しているように見えますか?見えないでしょう。

視点が他人に向かってないんですよね。

だから好かれてる人って人目を気にしてビクビクすることなく堂々としてる人が多いです。そこが魅力で人が寄ってくるのです。

 

 

友達を作る最強の前提事項は「友達なんていなくても楽しい」と思うこと。

友達なんていなくても自分で人生を楽しめるようにすること。

 

誰かに好きになってもらうためではなく自分が好きになれる自分でいるために努力をすること。

そしたらイヤでも自分に合う人間が集まって来ます。

 

ふとどこからともなく何の意図もなしに現れた縁こそが本物の場合が人生経験上多いです。そういう人とは仲良くなろうと思わなくても自然と仲良くなれて自然と距離も近いてしまうものです。

 

これはわたしの超個人的な意見ですが

セミナー、合コン、婚活パーティー、いろんな出会いの場がありますが

友達を作るためだけに無理やり繋げた人間関係は徒労に終わるか余計なトラブルを連れてくる確率も高いように感じます。

 

自然体でのびのびと「自分が好きな自分」でいることが幸福を連れてくる一番の手段ではないのかなぁと思うのですよ。

 


今日は南海トラフが起こって四国・西日本が壊滅する日だったらしい

東北の震災から毎日のようにオカルト板やツイッターで自称未来人・預言者などが未来に起こるであろう政治の出来事や地震について予言していらっしゃいます。

 

その中でもなかなかヒヤッとする予言も時にはされてるわけですよ。

これ、みなさん知ってましたか?

今日、南海トラフ地震が起こる日だったそうです。

 

2150年から来たという未来人を名乗る人物が

今日2018年5月23日の15時45分、南海トラフ地震が起こって四国で震度9、その衝撃で富士山噴火。西日本のみならず東日本でも沢山の人が死ぬとかほざいていました。

 

 

ジョンタイターの真似事か?

その前は5月18日、さらにその前は4月18日に南海トラフ地震が起きて日本が壊滅するとか言われてましたが、周知の通り何も起きていません。

 

ツイッター見てると色々設定もガバガバで突っ込みどころしかないのですがエンターテイメントとしても稚拙で見ててイライラします。

やるなら徹底的に作り込め。

 

そもそも震災で地震に対して過敏になってたりトラウマになってる人もいるのに

無闇に不安を煽るような情報を拡散して何が楽しいのかね?

過去の地震の被害者や遺族に対してもバカにしてるとしか思えません。

誰かを傷つけてでも目立ちたいんでしょうね。(そこまで考えが至ってないんだろうけど)

 

こんな奴こそ私刑にするべきだと思いますわ。むしろ逮捕案件ですよ。イタズラにしては悪質すぎますし。

デマを流して大衆を意図的に混乱させるって民衆扇動罪かなんかじゃないのと思ったが、調べたら日本にありませんでしたこの法律。

 

そして上記の予言が外れた後、どんな釈明するのか期待してたらコレです↓

????

 

いや、地震の延長って何だよ。いきなり設定盛りすぎで世界観に付いていけん。

ドラえもんの『先取り約束機』的な話?

もはやそれ未来人でも預言者でもないだろ。

 

一つ確定したことはあれです、反応したら負けってやつですね。

 

 

 

皆さんも変な自称預言者に惑わされず冷静に対応してください。こんなの適当なこと言ってクライアントの不安を煽る悪徳占い師と一緒です。

根拠のないアホ言動には一切耳を傾けないでおきましょう。

 

まぁ、これを機会に地震に対して準備しておくのもいいかもしれませんね。

自分は今まで一度も大きな地震に遭遇したことないんですが(ここ十数年、大阪では地震は殆ど起こっていません)

新しい場所に行く時、津波が来たら逃げる場所の確保や水・食料を買い揃える等の備えはしております。

 

 

今回はデマでしたが、南海トラフ地震は30年以内に80%の確率で起きると言われておりその他の地震もいつ起きてもおかしくありません。油断は禁物です。

 

 

そしてたまには日常を振り返って「明日死んでも満足できる今日を送れたか」自分に問いてみることも必要かもしれませんね。

 


弁当箱新調しました。

以前のこの↓弁当箱が割れちゃったので

新たな弁当箱を買いました。

 

それがこちらです。

 

これからはこいつとつき進んでいくぜ!

以前と同じ会社のものだけど(※→あとで調べたら別の会社だった)デザインはこっちの方が好きかなあ。

 

わっぱ弁当ってホント見栄えが良くなるから好きだ〜!

 

 


マツコと一緒に夜の街を徘徊してみたい

 

テレビ朝日 毎週木曜 深夜  ※一部地域を除く

 

この4月から週に9本のレギュラー番組を抱え、CMにも引っ張りだこ。
その姿をテレビで見ない日はないと言っても過言ではないマツコ・デラックスが、
テレビ朝日深夜枠で新番組をスタートさせます!

マツコ本人が提案する「アタシがやってる、どの番組にも似てない番組」という
コンセプトのもと決定した番組名はズバリ『夜の巷を徘徊する』。
「スタジオでトーク」というイメージが強いマツコが、
その既成概念を打破すべくロケへ。

 

夜の街を気の向くまま“徘徊”します。

 

マツコデラックスの夜の巷が面白くて大好きです。

 

もともとマツコが好きでレギュラー番組は大体見てるのですが

夜の巷を徘徊が一番いいですね。

bgmもなくマツコも素っぽいし雰囲気がしっとりしてて癒されます。

そして、わたしも夜の街徘徊するの好きなんですよねえ〜。

 

大阪ですが神戸や梅田・難波あたりは夜が更けてもまだまだ賑わっているんでよく徘徊してました。

煌々と輝くネオンにまみれながら夜になるにつれテンションが上がっていくんですよ。

 

夜の徘徊という番組テーマも面白いですが、それだけでなくマツコの一般人に対する物腰の柔らかさや知識の幅の広さなども見どころの一つです。

こういう所にその人の本質が見えるのですよねえ〜。

 

いずれわたしも関東の夜の街を徘徊してみたいです。

 

 

マツコデラックス  夜の街を徘徊する公式ホームページ

http://www.tv-asahi.co.jp/haikai/sphone/


「◯◯だけが生きがい」なんて言葉キライだ。

わたしにはたった一度だけ本当に好きになる人が現れました。

本当に大好きで彼女になりたいと思っていたしずっと一緒にいたいと願っていました。

 

彼は今まで出会ってきた誰とも違っていて自身のアイデンティティをしっかりと持った人でした。

でも気持ちを受け入れてはくれませんでした。わたしは深く深く傷つきました。

今失恋した時のことを思い出しても頭がおかしくなりそうになります。

 

もう人生終わりだ。

なにもかも終わりだ。

この世に未練はない。

死ぬしかない。

彼だけが生きる希望なのに。

彼以外、何もいらないのに。

彼が手に入らないのならこの先、生きててもなにもいいことがない。

 

華の大学時代、そんなことばっかり考えてたんですよ。そのとき将来のことを真剣に考えてこなかったから今こんなことになっています。

結局そうやって逃げてただけなんですよね。自分の力で掴み取ろうとしないで誰かに幸せを運んできてもらおうとしてただけなんですよ。

 

1人にフラれたからって何?それで自分の人生に価値は無くなるの?

たった1人に否定されたからって全てを捨ててしまうほど彼は崇高な人間なのか?

この二十数年間にわたる自分の人生は果たしてそれだけだったのか。

 

自分の人生を他人に委ねちゃいけない。

「これが無ければ生きていけない」とか

「これだけが人生の目的だ」とか幅を狭めない方がいいです。

 

生き方には沢山選択肢があるのです。

大好きな人と一緒に人生を歩んでいくだけが全てじゃない。

暖かい家庭を作ることだけが人生じゃない。

仕事で成功することだけが人生じゃない。

自慢できる役職に就いて沢山お金を稼ぐことが人生じゃない。

みんなから羨ましがられるリア充生活を送ることが全てじゃない。

 

ダメだったなら別の道を試してみよう。人生なんてね、それでいいんです。

 

わたしは以前は大好きな人といつまでもいつまでも一緒に暮らせればそれでいい、それだけが人生の目標だと思ってたんです。

でも叶わなかった。その夢は途絶えてしまった。決して叶わないものになってしまったのです。

 

じゃあまた別の夢を探せばいいじゃないですか。

友達を作るでもスポーツを始めるでも

自分に合った仕事を探すでもなんでもいいじゃないですか。

他に夢中になれるものを探しに行けばいい。

 

今度は誰にも幸せを委ねるんじゃなく、自分で掴み取る努力をする。

 

「幸せにしてもらう」のではなく「なりたい自分になる」ことを目標に。

何度も何度も抉るような痛みを運んでくる思い出が、せめてあの時の雪辱を晴らしたいとわたしを掻き立てるのでしょう。

 

あの失恋はわたしの人生の理由となったのです。

 


妥協した選択をする人間には妥協した結果しか得られない

 

むかし、グループであるテーマについて発表をすることになったときのこと。

グループ内のメンバーと話し合いながら着々と発表の準備を進めていた。

 

発表当日、わたしたちは練習通りに発表を行った。

しかし先生はわたしたちの発表が気に入らなかったらしく、キッと睨まれながら厳しいツッコミをされてしまった。

 

それを受けてわたしはビビリまくり

「嫌われちゃったらどうしよう、成績下げられちゃうかも。あとでご機嫌を取らないと。」

とビクビクしていた。

でも同じグループの1人の男性は違った。

平然と、先生の自分たちへの反応や評価なんてなーんにも気にしてない素ぶりで「頑張ったなあ!!お疲れ様ー!!」と爽やかに労をねぎらっていた。

 

先生から疎まれてたのに全然気にしてなかった。気づいてもなかったのかもしれない。どうでも良かったのかもしれない。

そこでハッと気がついたよ。

わたしは自分のことばっかり考えてなんてなんて小さな人間なのだろう。そしてこの人はなんて大きな人間なのだろう。

セコセコと先生のご機嫌を取らないとと焦ってビクビクしていた自分とは大違いだ…。

 

彼の生き方をものすごくカッコいいな、こうなりたいな、と思ったことが今でも心に焼きついている。

 

わたし、この生き方を目指すべきなんだろうな。

この生き方を選択する勇気がないまま、

「人から見ていかに批判されない生き方を選択するか」のみに拘泥し

戦うことをやめ責任を負うことから逃げ流され続けた結果、今のこの惨状があるのよ。

 

同級生はみんな自分の仕事や生き方に誇りを持って人生を歩んでいるのにわたしだけ高校生みたいな悩みを持っている。

 

今年でわたし三十路突入ですよ。

そろそろ本気にならないとヤバい。

 

おそらくね…今こういう不本意な状況になってるのもわたしの能力不足というよりは戦わねばならない時に逃げ続けた結果なのだと思うよ。

それはわたしの甘さであるし思慮浅かった自分の責任だ。

 

多分これからも「そんなに頑張ったってしょうがないよ。」みたいな誘惑にかられることもあると思う。

「多少納得行かなくてもある程度体裁さえ取り繕える人生を送ればいいじゃない」

そうやって考えて選択して、一体わたしは何度後悔したことだろう。

 

そういう甘さをぐっとこらえ、戦うことをやめず傷つくことを恐れないで突き進む。それしかわたしの納得する生き方は出来ないのだと思う。

 

ついに覚悟を決める時がやってきた。

これがラストチャンスだろう。

 

もう過ぎてしまった時間を後悔してる暇もない。周りの雑音も全て遮ってやらねばならない。

そう、あの時の彼のように。

 

 


大阪市営地下鉄がいつのまにか「Osaka Metro」になってた

 

長らく大阪から離れていて気づかなかったけど

いつのまにか地下鉄が「大阪市営地下鉄」から「大阪メトロ」って名前になってたわ。

 

なぜ??東京への憧れ??それとも対抗心ゆえ??と思ってたわけだけど、名前の由来について説明してるサイトがあった。

 

以下がその内容である。

海外から多くの方が大阪に訪れられてますから、海外の方がわかりやすい表記というのをやっていこう。これから大阪っていうのは国際化を目指していこうと。観光においても世界に通じる大阪を目指していこうと。

ちなみに、これ大阪メトロに決める時にですね、「いやこれ東京メトロのパクリじゃないの?」「東京メトロの二番煎じみたいなんじゃ、思われるんじゃないの?」という意見もあったんですけども、ただまあ、これは海外に行くと、大きな主要都市の地下鉄と言うのは、メトロっていうのを使ってるのが多くあります。

国際常識からいうと、メトロっていうのはいわゆる巨大都市・大都市の地下鉄という印象がありますから、それを海外の方が大阪を訪れた時に、すぐに一目にわかってもらうという意味で、横文字・英語表記にしました。

特に東京メトロを意識した訳ではないですけども、非常に、国際化を目指していこうということで、営業表記にさせて頂こう…ということになりました。

 

現大阪市長会見・吉村市長の発言

http://www.ustream.tv/recorded/112220491

 

市長はあくまで大阪メトロは国際化を意識して外国人にもわかりやすい名称にしただけで、東京メトロに合わせたわけでは決してないと仰っているが

いや、絶対意識してるだろ!

それどころか店や街並みもどんどん東京に寄せてきてるじゃねーか!

と、突っ込まざるを得ない。

 

まぁ、大阪に外国人観光客が増えているのは事実で外国人にわかりやすくという意見は真っ当だし

そもそも去年まで東京メトロが地下鉄のことであることすら知らなかったほど関東地区に対して疎い自分には何も言う権利はないけどね。

 

 


覚悟もなしに田舎に住むのはやめとけ

実はこの一年間、田舎暮らししていた。

もう仕事ごと辞めちゃうのでこの機会に田舎が何たるか少しだけ感想を書こうと思う。

田舎と言っても徒歩5分圏内にスーパー・コンビニがいくつもあったりチャリならすぐのところにバスターミナルがあるような所謂地方都市で、

マジな限界集落ではない旨を先に断っておく。

 

田舎は閉鎖的?

田舎はよく「閉鎖的でよそ者に冷たい」と言うが

住んでみてもややそういった面はあるように感じた。

のんびりしてる人が多く職業柄、世間知らずというわけでもなさそうだが興味の幅や話題がせまいとは思った。職場の人とは殆ど交流しなかったが、たまに話をすると話題は親戚や身内の話ばっか。

どうでもいい退屈な話ばっかりしていた。まぁ別にそれはいいんだけどわたしはつまらないなと思った。

 

田舎は男尊女卑?

地域によるかもしれんが職場では全くそうでもなかった。

田舎はセクハラが横行しているという話を聞いたことがあるが

一度だけ飲み会に行ったとき職場のおっさんに「一緒にプール行こうよ〜」と絡んで来られてマジギレしたくらいだった。

 

ただ、地元の人と話す機会があって「社会人です」と話したら「じゃあ高卒なのね」と言われた。このご時世、女で大卒な方が珍しいんか!?と感じた。

しかも自分に関して言えば大学四年+浪人までしているというのに…。

女性は勉強することをあまり推奨していないのかもしれない。

 

 

まぁ若い人は都会に出ることを強くおすすめする。多感な時期に様々な刺激に触れ合うことは素晴らしいことだ。

世界が広がるよ。狭い狭い世界で暮らしてると狭い狭い人格になってしまうから。

 

田舎の人は暖かい人が多い?

これに関しては都会も田舎も違いは見られなかった。

優しい人もいるが、冷たい人もいる。

しかしサービス精神や気の利きようについては都会人のが圧倒的に上だと思った。

よく都会の人は冷たいというが、どちらかといえば田舎の方がよそ者に冷たい分都会人の優しさの方が好きだなと感じた。

総論

田舎に住んで(田舎というか地方都市だったけど)まぁ、特別嫌なことがあったという訳ではないが、やはりわたしには合わないなと思った。若い人も居ないしいる人間もつまらないし刺激もない。一年を無駄にした感がある。

そもそも夜景を見たり都会的な雰囲気が好きなので全く何がいいのか分からなかった。

 

 

わたしの場合は好きで田舎に移住したわけではなく仕事の都合で来ただけなので、本当に田舎が好きな人はまた別の感想を持つかもしれない。

 

住む場所を選ぶことは生き方の選択でもある。

田舎の世界の小ささは確実に個人の可能性を狭めてしまう。

 

ま、保守的で長いものに巻かれろ精神を持ちながらただただ静かに毎日を穏やかに過ごしたいという人には田舎暮らしはおすすめである。

 

結果的にわたしにとっての田舎暮らしは夏目漱石の「坊ちゃん」みたいに仕事ごと捨ててしまうきっかけとなってしまったが

今一度、仕事について今後の人生について考えるいい経験になった。

 

こんな田舎住んでられっかボケ」と会社にキレたことはなかなかわたしの人生において大きな一歩であった。なかなかそんな奴はいないであろう。もう二度とわたしは田舎暮らしをしない。

 

人生は短い。どう生きるかその都度考えながら周りに惑わされず軸を持って生きていこうと決意した。

 

 

 


わたしが人と違うんだなって思う瞬間

皆さんは自分のことマジョリティだと思います?マイノリティだと思います?

 

わたしは自分でバリバリのマイノリティだと思ってます。

今では半ば開き直ってますが、昔から感覚が他の子と違うところがあると心の中でずっと疎外感を持っていました。

 

ストライクゾーンが異様に狭い

世の中にはミーハーで「いい」と思ったらすぐに飛びつく人って結構多いじゃないですか。

いわゆる「雑食」って言うのかな。

ハマりやすいけど飽きやすい。

パッパパッパ興味の対象を変えていくし、好きだったものにも執着しない。切り替えも早い。別に深く知ろうもしない。

でも、それが普通の人の感覚。

 

 

わたしは逆。

ものすごーーくストライクゾーンが小さい。なかなか好きにならない。

「好きかな?」って思っても「でも気の迷いかも」って立ち止まり時間をかけて吟味する。

そして「好きかな?」という疑念が一度確信に変わったら

絶対に心変わりしないし、ハマったものにはとことん打ち込む。

深く深くはまり込む。

もうこれ以上調べ尽くせないんじゃないかというところまで調べないと気が済まない。

好きなことへの集中力は恐ろしいくらいだと親や友人から言われたことがあります。

 

そう、わたしの辞書には1か10しかないのです。

興味のあることにはやり過ぎるくらいやるけど興味のないものには丸っ切り何のやる気も起きないのです。たとえそれがやらねばならないことでも。

それで随分と苦労しました。(今も進行形で)

 

映画「ザ・コンサルタント」で似た人物を見つける

ベン・アフレック主演の「ザ・コンサルタント」という映画があります。昼は会計士、夜は暗殺者の顔を持つ男の物語です。

彼は気を許した女性にこんなことを語ります。

「自分は物事を広く見ることが出来ない。」

「興味の幅が狭いんだ。」

「自分の興味のあることにはとことん打ち込めるんだけど、それ以外のことに目が向かなくなる。」

彼は今でこそ優れた頭も身体能力の持ち主ですが、子供のころはまともにコミュニケーションも取れないほど重度の自閉症でした。

人と違うこと、人に理解されなかったことに苦悩していたのです。

 

でもこれのセリフね、わたしもスゲーわかるんだ。わたしも全くその通りだもん。

さすがにわたしは今まで日常生活を送れてたしこの主人公のように重度の自閉症ってわけじゃないだろうけど

少しわたしもその気はあるかもしれないと思いました。

 

 

毎日毎日ツイッターやまとめサイトでこれが流行ってるだの

やれスキャンダルだやれ殺人事件だの

その殺人事件の被害者はどんな思いで死んだのか?遺族はどんな気持ちなのか?加害者はどんな生い立ちだったのか?世論はこの事件についてどういう意見なのか?

そんなこと考えてる暇もなく次から次へと新しいニュースが飛び込んでくる。

もう、思考が追いついていかないんです。

 

世の中見てるといかにスピーディに処理していくか?効率重視で世渡り術も身につけて情緒も余韻もへったくれもない、

 

いつでも優等生でいて世の中に都合のいい人間さえいてくれればいいんだ、

スキャンダルもニュースも殺人事件も渦中にいる人のことなんて一切考えず、活字として流せばいいんだと言わんばかりの人間たちが薄っぺらすぎてうんざりしちゃう。

 

だから疲れちゃうんだな、そういう人たちの目まぐるしさに。わたしは好きなものだけ見て生きたいけど、世間はそれを許さないしそんなの異端児だと思われてしまいます。

 

では、マイノリティはどう生きていけばいいか?

「ザ・コンサルタント」で、ハンデを持った子供たちに向けたこんなセリフがあります。このセリフに全てが集約されているのだと思います。

 

「あなた達の子供は劣っているのではない、異なっているだけです。

確実なのは 多分彼は思う以上に能力があります。

そして多分、その表現方法を知らないだけなのです。あるいは、私達がそれを理解する方法を知らないのです。」

 

 

とりあえず「ザ・コンサルタント」はフツーに面白いのでぜひ見て見て下さい。

 

 


挑戦し続けることが人生の醍醐味だ

昔GACKTのラジオで

人間にとって一番無駄な行為は「悩む行為」だと言っていたのを覚えている。

 

わたしも、ものすごーーく悩み癖があって何もしないうちから悩んで悩んで

被害妄想に陥ってどうせダメだと勝手に自己憐憫に陥っていた。

悩んでいるだけでそのことを知った気になることもあった。

 

今は本当に思うけど

人間にとって本当に意味のあることは

自分が行動して経験したこと」なんだよ。

 

今はネット社会だし普通に生きてたら絶対に知り得ない景色や知識、思想なんかも媒体を通して簡単に見ることができる。

でもそれでわかった気でいるだけで、見ただけではそれらは自分の体の中に溶け込んでいない。それはなんの意味もないことだ。

海に行ったことのない人に海の素晴らしさを説明しても絶対わからないだろうし

(本当の意味で)失恋したことがない人に失恋の辛さを語っても何も理解してくれないだろう。

人は実際に経験したことしかわからない。

 

 

昨年の銀魂実写版映画の主題歌「DECIDED」にこんな歌詞がある。

そう信じるって決めたからもう信じて行くだけ

 

僕らが不安感じるべき事は 自分に何ができるか?

じゃなく自分に何が合うか?じゃなく

本当に心が一番選びたいもの選んでるか?ってことだろう

 

たとえ失敗してもいい。

失敗とか成功とかこの際関係ない。

実際に経験して色々試行錯誤し物事に真剣に向かい合い、自分の頭で考えるという行為そのものが本当に本当に重要。

おそらくわたしたちがこの世に生まれてきた意味は「試行錯誤を繰り返すこと」そのものなんじゃないだろうかと最近は思う。

 

幸せっつうのは「成功すること」じゃないんだよ。幸せの意味も人生の意味も人から言われたことを鵜呑みにするんでなく

幸せの基準は自分で考えるものだ。

 

たくさん勉強し

たくさん行動し

たくさん吟味しながら

誰も替えがきかない自分なりの「個性」を一生かけて作り上げていく。もはやその紆余曲折が生きがいになる。

こんな楽しいこと世の中にあるか??

 

 

良さげな人生を送る人を表面上だけなぞるように真似してもダメ。そんなことをしても誰かにとっての幸せが自分にとっての幸せとは限らないということを身を以て知るだけだ。

世間が言う幸せとか親が押し付ける理想とかもう全部取っ払って、考えてみることだ。

最初は怖いかもしれないけど人生の舵取りをするって一度決めたら、結構楽しぞ。